ロングランエッセイ

Vol.87 軍艦島(端島)

URB HOUSE PHOTO

 今年三月に長崎の軍艦島を訪れた。海底の石炭を掘り出すために使われた小さな島だが、その坑道は次第に長くなり、深さは千メートルにも届き、水平には、二千三百メートルも伸びたので、最盛期には、五千人が住んでいた。一日三交代で働く坑夫と家族のために、学校、保育園、銭湯、映画館、集会場、商店、お寺、病院まであり、お祭りや運動会も催されたという。
 しかし、ほぼ四十年前に閉山となり、すべての人が島を離れ、その後は台風や雨風にさらされ続け、人の手の離れた建物の寂しさを持って、さびれてゆくままになっている。しかし、大正五年に日本で初めて建てられた四階建てのアパートをはじめとして、次々に建てられたアパートや学校や病院など、コンクリートの構造だけが立ち尽くしている姿は、不思議な感じを与える。北海道にもあった木造の炭鉱住宅のうらぶれていく感じと違って、建築構造の持つ幾何学的な印象のためか、どちらかというとすっきりと見える。そこで暮らしていた人々の息遣いがすっかり消えて、建築が抽象的なものとして明快に主張していて、近代建築の真髄をシンプルに表していると思えた。向こう側が透けて見える六階建ての小学校は、端正な造形物として見ることができる。ということは、人が住まなくなっても、尚、美しくあることが求められている。
 今、見る軍艦島は、ただのコンクリートの塊であるが、人の住んでいた頃は、夕方になると次々と家の明かりが灯って、島全体が、海に浮かべた灯篭のように、波に映っていたに違いない。一度、軍艦島の建物の窓のすべてに明かりを灯したい。

住宅雑誌リプラン・102号より転載


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