ロングランエッセイ

Vol.109 ブラック&ホワイト

URB HOUSE PHOTO

猛吹雪で目の前がまったく見えなくなることをホワイトアウトといい、冬になると何度か起きるが、場所も、期間も限定的なことが多く、家の中にいれば無事である。昨年は、ブラックアウトを経験した。胆振で起きた地震のテレビを見ていたら、函館の夜景がフェードアウトしていくうちに、札幌の電気も消えてしまって焦った。ガスも水も大丈夫そうだったので安心して、いつものように小一時間もすれば、電気はつくだろうとタカをくくっていたら、何と二昼夜も停電だった。それも、北海道全域が一斉に停電するという規模で、これをブラックアウトというのも、通電してからのテレビで初めて知った。
 地震の翌朝、街に出たら驚くほどシーンとしていた。たしかに市電が走るわけもないし、信号機が消えているので車もソロソロだし、自転車もまばらで、歩く人ばかりであった。街の空気がのんびりしていて、せわしい感じが少しもなかった。明治四十年頃に札幌に住んでいた石川啄木が、「しんとして 幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほいよ」と詠んで、札幌のことを「しめやかなる恋の多くありそうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり」と書いたのを思い出した。
 このゆったり感は、啄木のいた頃の速度感に違いないと思え、街全体を包むこの速度感は、何ものをも焦らせることなく、穏やかに暮らすのにぴったりな速さなのだと感じた。ブラックアウトという出来事のおかげで、街全体が、ゆったりした速度で動いていることを感じることができた。あらゆるもののスピードアップに夢中になってきて、すっかり失くしてしまった緩やかさを教えるためにブラックアウトが起きたとも思えるが、この街を啄木の云った「詩人の住むべき都会」にしたいものである。


住宅雑誌リプラン・124号より転載


コンテンツ