Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.3「硯」
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 ひさしぶりに、硯で書面を書くこととなった。
 どうにか探し当てた墨と硯はすっかり乾いてしまっていて、水に馴染むまでにはずいぶんと時間がかかった。やはり毎日使っていないと湿り気が硯に残らず、しだいに乾いていき、ついには固い石に戻ってしまう。
 硯の本場中国の、硯にまつわる話を聞いたことがある。良い硯を長い間うち捨てておくと、石の硯でも「死んで」しまうのだという。それをよみがえらせるには、一人の下僕を雇い入れ毎日毎日、硯を清水に沈めては引き上げ自然に乾かし、乾き切ったところで再び清水に沈める。このようにして朝から水を汲み、夜半まで沈めたり乾かしたりを繰り返す。これを一年ないし二年ほど続けると、ようやく硯に生気がよみがえり『活気』を帯び始める。そこで硯として使い始めるという。
 一度死んだものをよみがえらせえるのは、ずいぶんと手間のかかるものである。
 硯に限らず、住まいでも同じである。人の住まなくなった家は、人の手の温かみを失い、見る見る生気を失っていく。人が住んでも手入れを怠れば少しずつ生気を失い、みすぼらしくなっていく。
 近頃の家は効率よくできているので、たいそう便利になり、手間のかからないものになっているがその分、人の心や人の手のぬくもりが住まいに伝わっていないようだ。そのため昔の住まいにくらべて、生気を失うのが早いような気がする。
 湿り気と人の手の温かみを得て、ますます生気溌剌となり、日に日に美しくなっていく硯のように、住まいにも毎日人の手の温もりを加えて、しだいに美しくなる住まい方をしてほしいものです。

住宅雑誌リプラン・18号より転載
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