Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.19「サスティナブル」
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 今、『使い捨て』から『使い込み』の時代になってきた。使い込むといっても公金横領やカラ出張のことではなく、ひとつのものを大事に長く使う意味の『使い込む』である。大量生産、消費拡大の掛け声の中で『使い捨て』が一番といわれて、多くのものが使い捨てシステムに変わってしまい、使い捨てられたものに溢れて、大量のゴミに悩まされている。このような状況の中で、最近サスティナブルという言葉を耳にするようになってきた。
 「持続可能な〜」という意味で、1993年6月にリオデジャネイロで開かれた地球サミットの頃から多く使われ出した言葉である。サミットでは、大気中の二酸化炭素の濃度の増加、汚染される海浜、伐採の止まらない熱帯雨林、酸性雨、砂漠の増大など、地球規模での危機的状況のなかで、どうやって『持続可能な地球』を作っていくかということがテーマになり、持続可能な、という意味の『サスティナブル』が合言葉になった。そこでは当然、有限な資源を使うエネルギーの節約について提案されたのである。
 省エネルギーの掛け声のもとで、暖房費をどれだけ安くできるかと工夫を懲らし、外国技術を取り入れ、生活習慣を変えるまでになった北海道の住まい造りは、サスティナブル、持続可能な建築を作る意味では、日本の中では最先端を進んでいる。
 しかし、自分の家をどれだけ安く造るか、ばかりが気になり、社会全体の省エネルギーにまで眼が届かず、持続可能な社会を、という発想にまで行っていないのが残念である。
 北海道の自然の豊かさに甘えず、自然と共生する持続可能な建築を造り、持続可能な社会、持続可能な地球を造ることにつなげていきたいものである。そのためには、今までのような呑気な『使い捨て』から、ものを大切にする『使い込み』の姿勢に変わらなければならないが、日本に限らず世界中で、さまざまな『使い込み』の方法が試みられている。来年一月に釧路で、サスティナブル<持続可能な建築>を主題にした国際会議が行われるが、どんなものが出てくるか楽しみである。

住宅雑誌リプラン・34号より転載
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