Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.27「柱」
写真
 三内丸山遺跡の丘に、突然、6本の柱に支えられた櫓が立っていて、それぞれ太さが1mもある柱は、高さ15mを超える。四千年前に在ったと思われる櫓の柱は20mを超えていたというから、もっと壮大で、荘厳な感じさえ持っていて、そこに住む縄文人たちにとっては、誇りとなるシンボルであったに違いない。
柱は、石を一つ一つ積み上げる壁と異なり、一気に高さを得ることが出来る。のろのろと続く組積を亀のあゆみとするなら、柱はまるで脱兎のごとく、一気に高みに駆け上がる。そのため柱は、ものを支えるという現実性から遊離し、立ち昇り、高きに浮かぶイメージを得て、抽象的な存在となることが出来る。日本の木造家屋にあった大黒柱も、より太いものが好まれたのは、構造的な必要性もさることながら、この「家を支える」という強い意志、家という組織の結束を象徴するものとして考えられたからに違いない。
 今、札幌に大きな痕跡を残しているイサム・ノグチの展覧会が催されていたが、重く深い意味をたたえた力量感のある石の彫刻は、見る人にとって縄文的な魂に触れるようで感動的である。しかし、その平坦の地平から意志を持つかのように屹立する柱状の彫刻の表出する、大きさと質感の圧倒的な重さを持った現実性と較べてきわめて抽象的である。
 三内丸山遺跡にある長さ32m、幅9mの大型竪穴住居の内部に建つ19本の柱は、構造を超え、その内部空間に質の高い抽象性をもたらし、中世西欧に造られた宗教的空間に匹敵するが、ここで立てられている太い柱は壁から離れ、独立しているために一層、その力を発揮している。このような柱の持つ力・壁の持つ力など、建築的な要素の持つ力を、新たな視点と思索を持って見直すことが、末端肥大症型の空間の多い現在を超えて、新しい空間の創造に繋がるに違いない。

住宅雑誌リプラン・42号より転載
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