Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.37「森の教会」
写真
 二月のストックホルムは、日暮れが早い。日の暮れるのが早いということは、日の昇るのが遅く、八時でも明け切らない。背の高い松の森のなかに埋もれるように造られた、珠玉のように美しい小さな教会は、薄日が射しはじめた九時半ごろになって、ようやくはっきり見えるようになった。
 薄暗い松林の木立のなかで、すっと立つ十二本の白い柱は美しく印象的であると同時に、そこには、無垢の精神、無垢の意志というものを強く感じた。さらに、低い天井の柱のポーチを抜けて扉を開けると、そこには、何の飾りもないドームの天井をもった、ただ静謐さにあふれた広がりがあった。その静謐さのなか、包まれるようにして居ると、まるで紙を透くように、無垢な気持ちがますます漂白されていくようであった。やはり思ったとおり、優れた建築であった。
 建築が好きそうな若者とその恋人らしい二人連れが、私たちと同じように、この八十年も前に建てられた木造の小さな教会を丹念に、かなりの寒さのなかでも楽しそうに見ていた。こういう人がいれば、この小さな美しい教会はこれから百年、いや、さらに永く愛され続け、遺っていくに違いない。建築が、それのもつ魅力でこそ、永く愛され永く生き続けることの手本を見た気がした。
 帰りに、この墓地に葬られている、アスプルンドの質素な墓碑を訪ねた。供えたろうそくの火を見ながら、この小さな教会のもつ大きな価値と彼の偉大さを深く思った。設計者グンナー・アスプルンドは、死者を送るための祈りとお別れのための教会を│と頼まれたが│生き遺る人にこそ、生き生きと生き返ることを│考えたのではないだろうか、と思う。そう、やはり設計者は、いつも、もう少し遠くを見ていなければいけない。

住宅雑誌リプラン・52号より転載
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