ロングランエッセイ
Vol.72 愛蔵品
西線の電車通りからも見える、蔦の絡まる三角屋根の煉瓦の一軒家を、事務所にしている。六十年前に建てられたものだが、秋は、絡まる蔦が赤く紅葉してセーターを着込んだようになり、華やかで楽しい雰囲気になる。二十年くらい前にここを借りて、アプローチや庭に煉瓦を敷いたり、古い木製の窓をトリプルガラスのスウェーデンの木製サッシに替えたり、トイレを水洗にしたり、壁や天井に板を張ったり、ずいぶんと手を加えたこともあって、かなり愛着がある。いつも、あちらこちらと目を配り、知らず知らずのうちに不具合がでたところに手を掛け、直したりもする。大工や左官の職人さんの持っている道具も、ヤスリや砥石を使って手入れをしながら使い続けているので、だんだんちびてはくるけれど、愛着がわいて、手放せないという。手を掛ければかけるほど、愛着は、濃いものになっていくのだ。
何百万円もする茶碗や書や絵画が著名人の愛蔵品として紹介されるが、私たちの家だって一千万をはるかに超えるし、それに負けないだけの素材と労力をつぎ込んでいるのだから、心をこめて、こまめに手入れを続けていれば、何百万円もする著名人の愛蔵品に負けないものになるはずである。この蔦の絡まる煉瓦の事務所は、私の愛蔵品だが、同時に西線の電車通りに住む人の愛蔵品にもなっている。さらに、札幌に住む人みんなの愛蔵品になれるように、愛情を持って、目を掛け手を掛けていきたいと思う。
どの家も、近くに住む人にとっての愛蔵品になるように、愛情を持って住み続けて欲しいものである。
住宅雑誌リプラン・87号より転載