ロングランエッセイ
Vol.79 世界平和記念聖堂
七月の初め、四十年ぶりに広島を訪れた。終戦の年の三月に東京大空襲に襲われ、八月には、広島の原爆被災地に被害調査に出かけた先輩の話を聞いたのが、きっかけである。
東京大空襲は、連日の空爆によって市街地はまったくの焼け野原で、東日本大震災の津波の後と同じような光景で、恐ろしく悲惨であった。それから五ヵ月後、理科学生であった先輩は、広島の被害調査に駆り出され、相当悲惨な被災地を見ているはずなのに、広島での被災の姿を思い出せないという。心の痛手を和らげようとして無意識に、悲惨さを忘れようとしているに違いないという。しかし、終戦の年に東京大空襲で約十万人、広島で約十四万人、長崎で約七万人という人が亡くなったことまで忘れてしまってはいけない。
広島平和記念公園には、コンクリート打ち放しの端正な平和記念資料館が建っている。世界的に有名な建築家丹下健三の名作といわれているが、悲惨な光景を早く忘れてしまおうと、より繊細により瀟洒に、美しく造り上げたようにさえ思える。その近くに建築家村野藤吾の世界平和記念聖堂があるが、これは世界中のキリスト教徒からの寄付で建てられたものである。煉瓦を使ったどっしりとした建築であるが、宗教的な背景を持つためか、被爆のなかにあっても人間の尊厳への問いかけがあるように感じられた。また、その時期に建築家白井晟一が発表した原爆堂計画も凄かった。静かな水のうえに、真っ白な四面体が、真っ黒な円柱に支えられて空中に浮かぶ計画で、人間の存在を直截に表現したものであった。
広島を訪れたおかげで、建築が表現できる力を見直してみたいと思うことができた。
住宅雑誌リプラン・94号より転載